包括的性教育no.2 【不快】
「不快」と聞いて、どんなことを思いますか?
「嫌な感じのこと」「無いに越したことはない」「できれば感じたくない」…
「心地よい暮らしのためには、不快なものを排除するとよい」とよく耳にします。
例えば、整理整頓して不用品を処分したり、ジメジメしている部屋を除湿したり、不快要因を排除することで心地よい空間にできる。
そのため、排除したり無くすことに注目されがちですが、不快は誰もが感じる大切な感覚です。なぜ大切なのか、どう大切にしたらよいのか。今日はそんな【不快】についてのお話です。
不快な感覚ってどんなもの?
- モヤモヤする
- 気持ち悪い
- イヤな感じ
- 安心安全ではない感じ
- 怖い感じ など。
イヤとはっきり感じられなくとも、これらの曖昧な感覚は【自分にとっての不快】です。一般的にどうとか、誰かと比べて見えることではなく、自分の中で感じることそのものです。
感覚はキャッチすることが大事
赤ちゃんは、オムツが濡れたことを不快に感じて泣きます。好みの味でないものは吐き出します。人見知りが始まると、誰であれ遠慮せず泣きます。不快を敏感にキャッチして周囲に知らせるのです。
このように不快の感覚は「わたしが望まないこと」「わたしが好まないこと」のサインであり「わたしにとっての危険」を察知したサインでもあります。自分にとって大切なサインなので、まずはその感覚を流さず捉える(キャッチする)ことが大事です。
感じ方は千差万別・変化するもの
カラオケに行きたい日もあれば、騒ぐことを不快に感じて一人静かに過ごしたい日があるように。
積極的に手を繋ぎたい相手と、不安に感じる相手がいるように。自分にとっての不快は、相手や場所、その日の気分で変化するものです。今どう感じているのかが重要です。
また、他人には気にならないことが、自分にとっては不快だったり。自分が好むことが相手にとっては不快だったりと、何を不快と感じるかは人それぞれ違うものです。
どちらが正しいとかおかしいということではなく、単なる「違い」です。その違いがその人らしさであり、個性なのではないでしょうか。
まとめ
快も不快も、感じることは本来とても自由です。その集まりでその人らしさが形成されます。
「ソロ活のススメ」というテレビドラマがあります。好きな時に好きな場所へ赴き、ひとりの時間を楽しむ「ソロ活」を満喫する主人公は、ソロ活を始めてから、逆に人に話しかけられたり交流することが増えたと言います。自分にとっての快・不快を大切にしていたら、それを理解してくれる人が増え、自然と自分の世界に広がりが生まれたということでしょう。
相手に合わせたり周りを優先してきた人は、感じるいうことがよく分からないかもしれません。
まずは、記事をお読みいただき、快・不快の大切さを頭の片隅に入れ、自分にとっての「快」を意識的に取り入れてみてはいかがでしょうか。
ドラマの主人公のように、自分の快・不快を大切にすることで、自分の世界を広げいけたら素敵だなと思います。